▼2000.1.22
去年の8月頃の話。近所のノラ猫がスペシャルプリティな子猫を産んだ。さらっちゃいたいくらい可愛いのだが、近寄ると、私との絶妙な距離を保ちつつ、少しづつ逃げていく。口を半開きにし、しっぽを膨らませ、手足を伸ばして、自らを精一杯大きく見せて威嚇しながら後退していく。流石はノラのコ、警戒心たっぷりだ。しかし、そんな姿は私にはいじらしく可愛い姿としか映らない。どこまでも執拗に追っかけたくなってしまう。しかしながら私にはスイートハニーみなりちゃんがいるので、ちょっといじめるだけで開放してあげた。
近所のノラ猫のこども達は、どうやら我が家の駐車場の中に住み着いているらしい。冬まで使われないスタッドレスタイヤとか、お姑さんがゴミ場から拾ってきた空気の抜けた自転車などが雑多に置いてある、青いビニールカバーが掛かっている「物置」兼「軽4駐車場」のなかの、古い下駄箱の中で暮らしているようだ。確かに、猫の隠れ家にはもってこいだ。
 (近寄れないのでボケた写真しか撮れません) |
|
生後2ヶ月と推定される大きさのその子猫達は、可愛い盛りである。だが、その可愛さ故に、人間(特に子供)に狙われるのは自分達であることを知っているのか、半径5メートル以上近付くと走って下駄箱へ隠れる。このノラ子猫を、一度でいいから抱いてみたい。そんな野望を私が抱くのはある意味当然なのか。 |
ノラを手慣付ける為にはやはり「餌付け」である。いそいそと駐車場へみなりのカリカリを持っていくと、私が近付いた気配を察知して逃げていった。餌をばら撒きしばし辛抱していると、まず親猫が恐る恐る近付いてきて食べ始めた。釣られて子猫達も来た。腹を空かせていたらしい。私という人間がすぐそばにいるにもかかわらず、皆一心不乱に餌を食い始めた。チャンス到来である。そっと、そぉっと、手を伸ばす。一番近くにいた子猫の背中までアト少しだ。慎重に。そおっと、背中を撫でた。痩せっぽちだ。背骨のゴツリとした感触が、手に響いた。一撫でしても、その子猫は逃げなかった。捕まえるチャンスが目の前にあったのだが、私の手は、背中に触れたまま、止まった。捕まえられなかった。面倒を背負い込む気もないくせに、勝手な野望を抱いた自分が恥ずかしくなった。やせっぽちなその子猫達は、危険を犯して私の前にでてきた。生きる為に。そんな迷いが生じ、ただ、ボーっと、食べている姿を見ていた。結局、捕まえるのは止め、せめて3日に1回くらいはカリカリを少し持って行ってやろうと思った。傍観者で有り続ける自分の不甲斐なさに、自己嫌悪した、8月の終わりの話。
---------------------------------------
▼2000.1.23
その日、私は風邪をひいて熱を出してしまい、仕事を休んで家で養生していました。医者へ行きケツに注射を打ってもらい、ひたすら寝て回復を待っていました。全く風邪なんてひくもんじゃありません。やりたいことは沢山有るのにできないし、何より自分が人様に迷惑をかけている事実がムカつきます。午後の4時を回った頃、どうやら熱も下がり動けるようになったので、おろおろとネットしてみたり、みなりと遊んでみたりして自分の体の調子を確かめ「よし、いける!」と判断したので夕食は自分が作ろうと思い店に出向きました。店というのは我が家が営んでいる零細スーパーのことです。時間は17時を回り、空はすっかり暗くなっていました。裏口から店に入ると、店に働きに来ている親戚のおばちゃんが、開口一番
「あんた!見た?猫!死んどったやろ?!」
等ととんでもないことを言いました。暗くて気付かなかったのですが、どうやら店の前で、1匹の猫が車に引かれてしまったようです。店で座っていたお姑さんも、顔を曇らせて言います。
「可哀想にねぇ…。」
引かれたのは、家の車庫に住みついていたノラ親子のうちの1匹でした。母猫と、そのコネコ4匹でしたが、そのコネコのうちの1匹が、今回の事故で亡くなりました。道の脇とはいえ、このまま放置しておけばまた別の車に引かれて、さらに無残な姿になってしまいます。そして、このコたちは、誰にも弔われず、朽ち果てていくのです。居たたまれなくなって、店のいらないダンボールをもらい、可哀想なそのネコをいれてあげました。このコたちの中でも私が特に一番気に入っていた三毛のコが、死んじゃった…。まだ暖かいその体は、ついさっき、この事故が起こったことを物語っていました。ぐしゃりとつぶれ、原型を留めていないその頭や、「死」が放つ独特の臭い。そして、周囲に飛び散った血と、脳味噌と…。「死」んでいるのは確実過ぎました。万が一生きてるなんて可能性も無い状態でした。結局私にできることは、ダンボ−ルへいれてあげて、道路を綺麗にすることぐらいだったのです。そうしてこのノラは、生ごみ扱いで焼かれて無へ帰るのでしょう。そうこうしていると、お姑さんが、店から菊の花を持ってきて、ダンボールに添えてくれました。そうして2人で、しんみりと弔い、夕飯の材料を物色するため店に戻りました。母ネコや兄弟ネコたちはわかってんだかわかってないんだかって顔してるけど、一段と人間に対して警戒心を強めたようです。そして私は、その方が良いのだと思ったのでした。
---------------------------------------
▼2000.1.24
11月末の、夕飯の最中の会話でした。その会話とは、我が家の物置に住み着いたノラ猫の親子のことでした。
「今日、お父さん(私にとってのお舅さん)があの猫達を捕まえたんよ。捕まえて、車の中に閉じ込めたの。せっかく捕まえたし、何か近所の人が“近くに安楽死請け負ってるところがある”っていうから、明日にでもそこに持っていこうかと思うんだけど。」
正直、これを聞いた時に「ついに来るべき時が来たか…」と、淡々と思ったのです。世間では、今この瞬間にも、安楽死とは名ばかりの処分をされている動物たちが沢山いるのです。このノラ猫親子に毎日のように餌を運んでいた近所の小学生も、近頃では見かけなくなりました。世間は忘れっぽく、そして冷たいのです。邪魔なものは容赦無く切り捨てる。そんなものです。胸が痛みましたが、結局自分自身もダンナの家の居候状態。飼ってあげることもできません。「しょうがないか」と見てみぬフリを決め込むつもりでした。最初は…。
翌日、帰宅すると、しっかりあのノラ猫達はいつものように道路を闊歩していました。「そっか。無事だったか。命拾いしたね。よかったね。」と思った瞬間、なぜだかホロリと涙がでました。腐りきって欺瞞に満ちた私の言葉では、この涙に理由をつけることはできませんが、みなり(飼い猫)とノラ猫親子の姿を重ねた故かもしれません。「なんとかしなくてはいけない」と、強く思ったのでした。
このノラ親子にとっての一度目の危機は、お姑さんの情けによって回避されたようです。お姑さんは優しい人なので、結局可哀想になって逃がしてあげたんだそうです。そうして私は、思いきって言ってみることにしました。
「私、きちんと全部面倒みるし、うちで飼ったらダメですか?」
「そうしてあげたいんやけどねぇ。お父さんが大嫌いやからねぇ。」
予想通りの答えが返ってきました。お舅さんは、私などが餌を与えるのも怒り、餌を食べている最中のノラ猫を棒を持って追い払うような人でしたので、やはりうちは無理だ、と思いました。じゃあ、…どうしよう…?
何の解決策も見出せないまま、一週間が過ぎました。でも、その時1冊の小雑誌が目に入りました。ローカルな就職情報等を載せて、市のほとんどへ無料配布されているものです。そこの、「譲ります買います売ります」の投書コーナーに目が止まりました。これで、里親募集してみよう!早速FAXを送り、掲載されるのを待ちつつ、インターネットの掲示板等で募集もしてみました。掲示板の方は全く成果が無く、時間だけが過ぎて行きました。
今、里親を探しているから、早まったことだけはしないで!と、家族に懇願し理解を得られたので、少しのんびりと里親探しをはじめた頃。また、交通事故によって、コネコが1匹減りました。付近は交通量が多いので、今後もそういった事故が起こる可能性が高く、やはりのんびりはしていられないと思い、動物病院などにもお願いしようと思った矢先に、ようやく雑誌に掲載されたのです。それからは私の携帯は3日間鳴りっぱなしでした。自分は無理だけど応援したい、という人からや、「ノラ猫であり、人馴れしていない。飼うからには相当の忍耐が必要。そして、まだ捕まえていないので少し待って欲しい。」といった重要事項を聞いて引いた人。はたまた、自分のチンチラゴールドちゃんの自慢話をしに電話をかけてくる人など、いろんな電話です。そんな電話ばかりで、肝心の里親がなかなか現れません。
この時点で、コネコ2匹(白黒♀、茶トラ♂)及び母猫(キジトラ♀)はもちろん捕まえていなかったので、電話応対と同時に捕獲大作戦もスタートさせねばなりません。
---------------------------------------
▼2000.1.26
ノラ猫の捕獲は容易ではありません。もうかれこれ4ヶ月も彼らに餌を与えている私にさえ、半径1m以内には近寄らないのです。どうやって捕獲するか…?仕事中も寝る前も、そればかりを考える日々の中、ようやく茶トラ(♂)の里親さんが決まりました。しつこいほどに「人馴れしていない」ことを伝え、先方の意思を慎重に確認しました。こういったケースでは特に、里親になってくださる方がいいかげんな気持ちではとてもお渡しすることはできません。その点、この里親さんはそれでも良いと言ってくださり、私は久々にいるわけもない神様に感謝しました。本当に、よかった…!
里親さんがきまったことで、捕獲大作戦にさらに気合が入りました。私が考案した捕獲の罠は2つです。幸いコネコ達はいつも寝る場所が決まっていたので、そこを襲撃することにしたのです。お姑さんがネコのために、車庫のタイヤの上に毛布を敷き、その上にダンボールで囲いを作ってくれていたのですが、コネコ達がそこで寝ていることは間違いなかったので、この寝場所の出入り口を一箇所のみに改造し、出入り口を塞いで閉じ込めるというワナです。決行は夜中、夫と私の2人によって行われました。しかしこの作戦は、半分だけの成功に終わりました。この罠で捕まえられたのは白黒(♀)1匹。茶トラは、するりと逃げて行ってしまいました。とりあえず白黒ちゃんは我が家で保護、という形になったわけですが、私ががんばっているのを理解してくれたのか、夫もお舅さんも、何も言わずに協力してくれました。白黒ちゃんは、いざとなったら実家になんとかしてもらおう。幸い昔飼ってた「エル」というネコに似ていたので、その事実を武器に、なんとか丸め込もう。そんなことをたくらみつつ、翌日2つ目のワナを仕掛けました。
2つ目のワナもとても単純です。チャック閉開しきのシーツを、チャックを開けて広げ、そのど真ん中に餌を置き、食べにきたらシーツの両端をすばやく持ち上げて閉じ込めるというもの。警戒してなかなかシーツの中に入ってきませんでしたが、母猫が食べ始めると、茶トラもやってきて食べ始めました。しかしこれも半分だけの成功でした。いまだ!!というタイミングを逃してしまい、茶トラのみ捕獲…。それでも私にしては上出来のワナでした。茶トラくんを、白黒ちゃんと同じ部屋に放してやると、2匹でせつない声で泣き叫びました。私が近寄ると全速で部屋中を逃げ回るので、かなりへこみました。自分のしていることは間違っているのではないか…?ノラのままが、この子達にとって本当の幸せなのではないか…?そんな自問自答に答えなど見つかるわけもなく、せめて貰われて行く先で、幸せになって欲しいと思うよりしょうがありません。
茶トラの里親さんに連絡し、お渡しする段取りを決めてしばらくした時、また携帯が鳴りました。そしてこの電話によって、母猫と白黒ちゃんの家が決まりました。なんでも、ノラばかりすでに12匹も面倒を見ているそうで、行き先が決まらなかった時は、ぜひうちに、というお話でした。私は疑い深い猜疑心のかたまりのようなヤな性格をしていますので、「猫ちゃん全て引き取ります」という言葉に、最初は悪徳業者か??皮剥いで三味線にするんか?!と非常に警戒したのですが、じっくり話を聞くにつれ、とてもすばらしい人だと思ったので、お願いすることにしました。逆に疑った自分を恥ずかしく思いました。そうして世の中まだまだ捨てたもんじゃないなと思ったのでした。
---------------------------------------
▼2000.3.10
ノラのコネコが貰われていって早2ヶ月が過ぎようとしています。肝心の母猫は未だ捕まらず、いつまたコネコが生まれるかと戦々恐々としている毎日なのですが、とにもかくにもコネコ達はそれなりに幸せにやっているようです。
 |
|
まず茶トラ♂くんですが、「うさぎ」君という可愛い名前を付けてもらったようです。かなり人にも慣れてきたけど、飼主さん以外にはまだまだビクビクしているとか。飼主さんの愛の深さが、私にはただただ有難いばかりです。 |
そして…白黒♀ちゃんですが…。彼女は、スタートが最悪だったので、いまだオリ暮らしなのです。さて里親さんにお渡しするぞ!と捕まえようとしたその時に、イヤがって逃げ回った白黒ちゃんは、高さ1mほどの窓のサッシから飛び降りて、右前足を複雑骨折してしまったのです。そんな足でも逃げ回る白黒ちゃんをムリヤリとっ捕まえゲージに入れ、里親さんと一緒に動物病院へ駆け込みました。結果、右前足複雑骨折により、2週間の入院…。
 |
|
この白黒ちゃん、食生活の劣悪なノラの生活が長かったため、極度の栄養失調及び骨粗しょう症にかかっていて、普通のネコの半分の骨の太さしかなく、いずれ折れる運命だったと先生はおっしゃいましたが、私は激しく自己嫌悪に陥りました。 |
本当に最悪のスタートです。里親さんにも申し訳無いし、なにより白黒ちゃんに申し訳無い。そんなこんなで最悪ながらも白黒ちゃんも無事貰われていきました。エルちゃんと名付けられた白黒♀ちゃん。スタートが悪かったせいか、未だ触らせてもくれないとのこと。前途多難です。
さて、この里親さんの家には、このエルちゃんのような境遇のノラちゃんたちが12匹も引き取られて暮らしています。どのコも、とても元ノラだったとは思えない人懐こい可愛いネコです。遊びに行くと必ず写真を撮らせていただくので、沢山溜まりました。今は、この里親さんの、言わばノラ猫のプロフェッショナルな懐かせ方に期待して、いつかエルちゃんを抱きしめたいと願うばかりなのです。
---------------------------------------
▼2000.5.10
やっとコネコ問題が片付いたばかりなのに、また猫を拾ってしまった。嫁ぎ先の迷惑を顧みないダメな嫁である。もうこの際、猫のこともあり、ついに夫の両親と別居することになった。夫家が人に貸していた古い家が空いたこともあり、そこに移るのだ。といっても、徒歩10秒の引越しで、距離にして50歩というところで、本家の真裏にある家だ。これで少しは、変な肩の力が抜けるとよいのだけど。
---------------------------------------
▼2000.6.13
近頃の私はすっかり猫斡旋業?という感じで、拾った猫・ノラ猫を、私の代わりに飼ってくださる方にお願いしている日々が続いています。ノラ犬や捨て犬に比べ、ノラ猫・捨て猫は犬よりも圧倒的に多いように感じます。そういった元ペット達が辿る運命を憂い救済活動をなさっている方たちもいる社会の一方で、一緒に暮らしたペットを、簡単に捨ててしまう人間もいるわけです。
4/10、金沢駅から会社へ向かう通勤路で、一匹の猫と出会いました。駅の外のベンチの脇の茂みに、水色のケージが見えたので、「何でこんなところに置き放しにしてあるんだろう?」と思いつつ覗いてみました。ケージの扉は開いていて、中に猫が入ったままでした。扉が開いているにも拘わらず、中の猫が動く気配はありません。しかし私を含め周りの人間は皆通勤途中、目はこの猫を追いつつも、立ち止まる人はいません。私はこの猫の前までいって、飼い主が近くにいるか周りを見渡しましたが、なぜかそれらしき人はいません。猫は自分の小便にまみれ、悪臭を放っていました。撫でても特に何の反応も無く、かすかに震えているようです。気にはなったものの、通勤の途中だったのでそのまま会社へ向かいました。仕事をしながらもこの猫がどうなったのか気になっていたところ、たまたま金沢駅へ行く用事ができたので、ついでに猫を見てこようといそいそ出かけました。用事を終え、先ほどの猫がいた場所へ行くと、やっぱり猫はそこにいました。
 |
|
見た感じ、アメショのオスのようです。ここで私の悪いクセがでました。自分が飼っているアメショのみなりちゃんと重ねてしまったのです。同じアメショなのに、この境遇の違いは何だろう、と。すぐ近くにいた日雇い労働者風のおじさんに聞くと、彼が朝7時に金沢駅に来た時にはすでにこの猫はココにいたそうな。夜のうちに捨てられたのでしょうか…。 |
こうしてこの猫、ロミオくんは私に拾われたのです。最初は「捨てられました」と書いてあるようなブス顔でしたが、一週間ほどして落ち着いてくると、甘えたりノビーとリラックスした姿を見せるようになりとても可愛くなりました。しかし私もダンナの親と同居している嫁という立場にあり、この猫を拾ったことによってダンナ側の家族及び愛猫みなりちゃんから猛攻撃を食らい、この猫を取るなら離婚ってところまで話が進んだので泣く泣く里親探しをしました。今、ロミオくんは新しい家族の元で可愛がられ幸せに暮らしています。捨てた奴に物申す!探す努力をすれば必ず里親さんは見つかるっつの!責任が持てないなら最初から飼うなーーー!!
こうしてロミオくんが貰われていってホッとしたのもつかの間、今度は近所のノラ猫が去年同様またしても我が家の納屋でコネコを産みやがりました。このノラはこれまでに数々の罠を仕掛け避妊手術のための捕獲に精をだしていましたがことごとく失敗し、今日に至ります。コネコが産まれたので一時的に捕獲は中断し、授乳期が終わる頃を見計らってまずはコネコ捕獲作戦へ切り替えました。
 |
|
捕獲は成功し、現在5匹のコネコは順調に育っています。さすがはノラ、コネコといえどすさまじく人馴れしていません。捕獲して10日が過ぎますが、5匹のうち、人を怖がらなくなったのは1匹のみです。すでに貰われたコネコ2匹もなんだか前途多難。 |
ねこじゃらしに夢中の時は、恐怖心を忘れてじゃれ付くので、少しずつ前進あるのみ、です。こうして、最近は家にいる間中、猫じゃらしを振りつづける毎日を過ごしています。
---------------------------------------
▼2000.7.7
私は慈善で猫を助けているわけではない。慈善であれば、我が家はもっと猫で溢れていることだろう。実際問題、身に降りかかった火の粉を払っているだけに過ぎない。目の前の問題を、自分のできる範囲で解決しているだけなのだ。近所のノラのコネコの里親探しにしたって、母猫が我が家の納屋以外で産んだのであれば、動くことさえしないだろう。1年前のコネコ達が自分の目の前で死んでいった過去と、今以上に近所にノラ猫を増やさない為…この2つに動かされて、面倒な里親探しをしている。
メディアを使って里親探しをすることにはメリットとデメリットがある。メリットは言うまでも無く広範囲に里親を探せることだ。心境は、仕掛けたワナに獲物がかかるのを待っているハンターといった感じだ。しかし、自分へのアクセス方法が公開されるという大きなデメリットがある。携帯番号を世間に公開することによって、ヤバ気な人から多々電話がかかるようになる。
「動物好きな人は優しいから…。今、すごくつらいんです。」突然こんなことを言われてもこっちは困る。とりあえず「はぁ。そうですか。がんばってください。」とまぬけな返事をしたら、「お願いします。もう一度…言ってください。」「は?何を?」「…がんばってって…もう一度…。」ボソボソとこんなことを抜かしやがった。いやー!!怖いー!!なんで知らん奴を電話で励まさなアカンねん!こういうヤバ気な電話に限って番号非通知だったりするからやってられない。
だけど、そんな電話より何より、一番やる気がなくなる電話がある。私が慈善で猫助けをやっていると勘違いした電話だ。猫を拾ったけど飼えないから何とかして欲しいだと?私だって何とかして欲しいっちゅーの。っていうか自分で何とかできねーなら拾うなっつーの、と思いつつもメディアで募集する方法を伝授する。伝授の後も延々いかに自分が困っているかを聞かされる。勘弁して欲しい。猫助けして「いいことをした」と自己満足したいのならそれなりの覚悟が必要だというのに。
自分に覚悟があるかと問われれば、胸を張ってあると答えよう。残ったコネコに里親が現れなければ飼うことを誓う。それをすることによってダンナの親から出て行けと言われるとしても。猫を拾うってことは、そういうことなのだ。このくらいの覚悟ができないのなら、さわらぬ神に祟り無しを突き通すべきだ。
---------------------------------------
▼2000.10.23
最後の里親さん探しです。やっとチョコ母さんも捕獲でき、今日、避妊手術を終え病院から帰ってきました。さすがにすぐに野に放すことはできないので、今日から一週間を我が家で過ごします。母猫が居ない間、放って置く訳にはいかないので、コネコ達も同時に捕獲したのですが、今回はとても苦労しました。前回同様「人間怖〜い」なコネコのため、逃げ回ってなかなか捕獲できなかったのです。10/21の3時から捕獲開始し、4匹全部を捕獲し終わった時、すでに朝になっていました。10/22の朝6時、夫が最後のコネコを発見、捕獲完了!
これで最後!と思うからこそがんばれたのだと思います。ところがさすがに秋の寒い夜に、母猫から引き離され、更にこわ〜い人間に追いまわされて、すっかりコネコは参ってしまいました。
 |
|
全員風邪を引き、毎日点滴打ってます。可哀相なのも事実ですが、この試練を乗り越え、ニョン(前回のチョコ母さんの息子。現在はこはる家に生息中。)のように、おおらかに育って欲しいと願っています。ねこじゃらしで遊ぶようにもなってきたから、なんとかなりそうかな〜。 |
---------------------------------------
▼2001.8.20
猫という動物を最初に意識したのは、友人宅で飼われていた「たま」というヨモギ柄の猫でした。元々ノラだったのが友人宅に居着いてしまい飼われることになったのですが、私が中学生当時の日本、特に田舎はまだまだ避妊手術が一般的では無く、友人は、「たま」にコネコが産まれるたびに、遠くヘ捨ててきているという話をしていました。「たま」のコネコを見るたびに、うちでも猫が飼いたいと思っていましたが、親が許してくれる訳も無く、友人が捨ててきたと言うたびに胸を痛めていました。中学生の自分には何の力も無いことがくやしい、それは「たま」を飼っていた友人もきっと同じ思いだったことでしょう。
お盆休み中、久しぶりの同窓会でこの友人に会い、それとなく「たまは今どうしてるの?」と聞いたところ、寿命を全うし、2年前に亡くなったとのこと。亡くなる直前に仔犬を飼ったが、たまは豊富な子育て経験を生かし、種を超えた優秀なお母さんとなって、本当にいい猫だったとしんみり言う友人の言葉に、あやうく泣きそうになりました。たま、私にも猫の良さを教えてくれてありがとう。ご冥福をお祈りします。
---------------------------------------
▼2001.8.25
中学2年の時、私の両親は離婚しました。父の浮気が理由だった為、母は父から家を慰謝料として奪い取ったので、転校等もなく特に変わらずに生活できましたが、母は今までのように専業主婦などしていられなくなり、まだ幼かった妹2人を私に任せて働きにでました。当然お小遣いなどねだれる状況では無くなり、私は新聞配達のバイトをはじめました。風の日も雨の日も雪の日も休みの無い新聞配達はとても辛いものでしたが、そんな新聞配達LIFEを慰めてくれた、障害を負った老猫がいました。近所では「トラじい」と呼ばれていた、額と背中が茶トラで、他が白い模様のオスネコでした。トラじいは、近所に姿をあらわした時にはすでにビッコをひいていて、車に引かれたのだろうと言われていました。とてもなつっこい猫で、呼ぶと、鳴きながらビッコを引き引き近寄ってきて頭を撫でろと言いました。飼ってあげたくとも、経済的に苦しかったあの当時、私には餌をあげることすらしてあげられませんでした。
トラじいは、ある家の軒先のダンボールハウスの中で生活していたようです。そこは新聞を取ってくれていたので、毎朝トラじいに会うことができました。新婚の若い夫婦が住んでいたのですが、たぶん奥さんはダンナ様にトラじいを飼うことを反対され、それでも放って置けなくてお外で飼うことを決意なさったのだろうと推測しています。寒い冬の日も、その家の軒先のダンボールを覗けばトラじいが丸くなって寝ているのが見れたので、心が温かくなったものです。だけど高校2年の冬に、トラじいは誰にも見られないように、ひっそりと姿を消しました。集金に行ったときに奥さんに聞いても、いつの間にかいなくなったと言うので、死期を察知し姿を消したのでしょうか。
---------------------------------------
▼2001.8.27
新聞配達も板についてきた高校3年生の4月中頃だったと記憶しています。いつものように朝、新聞配達に行こうと自転車のカゴいっぱいに新聞を詰め、いざ出動!というまさにその時でした。どこからか、弱々しいコネコの鳴き声が聞こえました。どこから聞こえているのか精一杯耳を澄まして探しました。家の向いのドブの中からのようでした。自転車を留めドブを覗くと、手のひらサイズの小さな真っ黒なコネコがガタガタブルブルと震えながら、私の顔を見つめていました。見てしまっては放って置ける訳がありません。しっぱやお腹は泥にまみれ、抱き上げてもずっと震えているコネコ。確かこのコネコを自分の胸元へ忍ばせ、一緒に新聞配達をしたような記憶があります。配達を終え戻ってきた私は、このコネコを「そう」ちゃんと名付け、家族の反対を押し切って飼うことにしたのです。
 |
|
新聞配達のおかげで、自分自身に経済力があったのが幸いしたのか、案外すんなり許してくれたのでした。そのネコは、あまりにも小さく、生後1ヶ月前後と思われました。妹の話によれば、昼間このコが公園で乱暴な男の子達に砂をかけられ、生き埋めのマネゴトのような状態で弄ばれているのを見たそうです。 |
痩せてガリガリだった体にも少しづつ肉が付きはじめ、当初飼うことを反対していた母にもその存在が認められ、可愛い盛りの9月の終りのことでした。そうちゃんは1日のほとんどを家の中で暮らしていましたが、夕方の2〜3時間だけ、自由に外にでて遊んでいました。毎日16時頃外にでて、毎日18時〜19時になると帰ってくる、そんな生活。
いつものように学校から帰宅して、そうちゃんを外に出してあげました。16時から18時がそうちゃんの見回りタイムらしく、いつもは時間になれば帰ってきていたので、18時15分の時点では「珍しく遅いね、迷子になってなきゃいいね」なんて笑って話していました。
…18時半。
玄関のチャイムに母がでました。
斜め前の家のおじさんです。?
スーパーのビニール袋をさげて。?
軍手が赤く染まってる…。?!?
母とおじさんの会話の内容まで聞こえなかったけど、悪い予感がしました。背筋が凍りつく、まさにそんな感覚が襲いました。ビニール袋の中身を確かめた訳でもないのに、勝手に涙がでてきました。母が私を呼んだので、玄関に行きました。そして…。ビニール袋を、渡されました。中は、見れませんでした。
おじさんの娘が、轢いたそうです。そうちゃんは、ちゃんと18時頃に帰ってきていたみたいです。…家に辿りつく直前、家の真ん前でした。その場で大声で泣いてしまいましたが、それがおじさんへのあてつけみたくて申し訳ないなと思ってる冷めた自分もいました。その間も、家の前ではおじさんが一人で黙々と道路をゴシゴシきれいにしていました。その姿と、道路にこびりついたそうちゃんの脂肪分が、ビニール袋の中身をみていない私に、事実を認識させました。
ビニールの中身は、案外綺麗でした。無残というほどではありませんでした。滑らかだった毛並みは、血でべっとりとしていたけど。誰が悪い訳でもナイな、と思いました。全てはタイミング、間が悪かったと思います。
---------------------------------------
▼2001.8.29
ビニール袋からそうちゃんをそっと取り出し、タオルを敷き詰めたダンボールに移してあげました。夕食直前に起こった事故でしたが、もう、誰も夕飯を食べようとはしませんでした。私はめそめそしながらダンボールの傍らでそうちゃんとの楽しかった思い出を回想していました。片手サイズから、ようやく両手からはみ出すほどに育ったのに。しかし飛び出したそうちゃんが悪いので、轢いた人を責めることは出来ません。一緒に外に出ると、彼女のテリトリー内ならどこまでもついてきたそうちゃん。こたつの中で気持ち良さそうに腹を見せて寝ているそうちゃん。思い出が、浮かんでは消えていきました。目を開けると、その思い出の主役は寝ているような安らかな姿でダンボールの中で横たわっていました。毛は血でぺっとりしてはいるけれど、ただ単に気絶して寝ているだけのようで…あれ?動いた…?
確かに動いたような気がしました。いいえ、気のせいじゃありません、確かに動いたのです。気が狂ったようになりました。そうちゃんは生きているんじゃ…?!いや、生きてる!誰か!
「お母さん!そうちゃんが!生きてる!病院に!早く!!」
狂ったように母を呼び、とにかく病院へ!と叫んでいました。一刻を争います。ああ!なぜもっと早くこうしなかったんだろう…!車に轢かれたというだけで死んだと思いこんでしまっていたなんて!そうちゃん、ごめん!ごめん!!早く!早く病院へ!!
この時私は冷静さをすっかり欠いていました。そしてあまり知識を持ち合わせていないバカだったので、動いたのは「死後硬直」によるものだと理解できませんでした。車に乗って病院へ向かう間も、ピクッ、ピクッと、そうちゃんが動くのです。それは、私には「痛い、痛い」と言っているように感じられ、胸が締め付けられました。だけど、脈をとって確かめようとか、息をしてるか確かめようとしませんでした。それは、病院へ着く前にそれをしたら、そうちゃんを諦めるのが早まってしまうから、と頭の隅で理解していたからなのでしょう。ほんの0.1%ほどの希望は、当然ですが、獣医さんによる「瞳孔、開いてるね。」の一言で打ち砕かれました。母の心無い一言「だいたい向かいのおじさん、検死官やった人やよ?(死んでるかどうか)間違える訳ないでしょ?」ああ、全くそうですね。私もおばちゃんになってずいぶんと神経が図太くなったんで、もう二度とこんな恥ずかしいマネはしませんが、この時の自分のピュアさ加減が懐かしい今日この頃。
---------------------------------------
▼2001.9.3
 |
|
ハッピーバースデーみなり!!今日はミナリの誕生日、早くも12歳です。みなりはアメリカン・ショート・ヘアーという種類のネコで、そうちゃんという黒猫が交通事故でアッチにいってしまい、悲嘆にくれていた私が、勢いでペットショップで買ってきたネコです。 |
父親と妹との4人で、お金を出し合って買いました。そのころアメショは爆発的な人気で、なんと10万円もしました。私が高校生当時の全財産を投げ打って買ったネコです。
みなちゃんから4ヶ月遅れて、くうちゃんという新入りが我が家の一員となりました。ネコは嫉妬深いときいていたので、先住ネコのみなちゃんとうまくやっていけるか非常に心配でしたが、そこは子猫同士、1週間で一緒に眠るほどに急接近。飼い主としては一安心です。みなちゃんは家の中のみで飼っていましたが、くうちゃんに関しては何だか頭が良さげで、こいつなら交通事故の心配もなさそうということで、出入り自由な外ネコとして飼うことになりました。
2匹の関係はと言えば、先輩のみなちゃんにくうちゃんが気を使っているような、でも大人っぽいくうちゃんにみなちゃんが甘えているような、よくわからない関係でした。

私が結婚する2年ほど前のことです。くうちゃんに惚れ直すような事件がありました。みなちゃんをリードでお散歩させていた時のことです。近所の家のキジトラ猫と鉢合わせしてしまい、両者にらみ合いの末、一歩も動かなくなり、飼い主オロオロ、という時です。一瞬のスキをついて世間知らずで怖いものしらずのみなちゃんが飛び出し、ケンカが始まってしまいました。当然、みなちゃんは負けています。あわわー、もう、止めなきゃ!そう思って動こうとした時、ケンカの唸り声を聞き付けたのか、私の後ろからものすごい勢いでくうちゃんがキジトラ猫に跳びかかりました。勢いにビビったのか、キジトラ猫は逃げて行きました。助けに来てくれるなんて!!私はもう、ビックリするやら安心するやら感動するやらで近所中にこの美談を語り歩くほどにくうちゃんを見なおしました。飼い主が思ってた以上に、仲良かったみたい。
そんな2匹ですが、私の結婚により、離れ離れに。飼い主のエゴによりそうなってしまって、さみしそうなみなちゃんの姿をみるたびに、ああ、やっぱり置いてくればよかったのだろうか、とか考えてしまいます。が、妹の話によると、くうちゃんは邪魔者がいなくなったとばかりに家族にヘロヘロになって甘えまくり(今までは撫で撫でにしてもねこじゃらしで遊ぶにしてもみなちゃんが優先だった)、わが春を謳歌しているとのこと。
あれ、くうちゃんの話になっちゃった。とにかく、みなちゃん、元気で長生きしてください!
---------------------------------------
▼2003.08.27
昨日、近所のノラ猫で「ひげにょん」と呼んで可愛がっていたコが交通事故で天国へ行ってしまった。まだ1歳くらいだっただろう。夜に夫と現場へお線香を手向けた。私は輪廻転生を信じているので、ひげにょんが次に産まれる時にはもっと幸せに暮らせますようにと祈った。幸せは人によって感じ方が違うと思うが、私にとっての幸せは「衣食住」が足りていて、愛し愛される存在がそばにいることだ。今、自分はとても幸せだと感じているので、我が子にも、将来「物欲」にまどわされることなく、幸せを見極められるように育って欲しい。そして何事も愛情の過ぎぬ様に、また不足の無いように子供をサポートできる親になりたいと思う。
我が家に通ってくるノラ猫さんは他にもいるが、苦労させられた分一番かわいいのがチョコ母さんだ。このコを食べされるために玄関先にエサスペースを作ったのだが、他の猫も通ってくるようになった。確認しているのは4匹で、チョコ、パクチン、チビ、ヒゲニョンだ。

チョコ母さんが食べ終わるのを待っているチビと、うらやましそうに眺める我が家のデブ猫リン。
---------------------------------------
▼2003.12.09
お腹の胎児は現在650gで、ちょうどニョンとその兄弟達が捕獲された頃の重さだ。捕獲当時は人間が怖くて怖くてハーフー威嚇しまくりだったニョンも、今ではすっかり夫の腕枕で寝る猫になった。ミナも私の腕枕で寝るが、リンだけは絶対布団の上で1匹丸まって寝ている。やはりデブ(7.8kgの大猫)は体温が高いので布団の中では暑すぎるのだろうか。
---------------------------------------
▼2003.12.15
土日にようやく雨漏り修理の検査に来た。1階のトイレと玄関の雨漏りが深刻になってきたので、出費を覚悟して修理を依頼してから、2ヶ月も経ってようやくである。見知らぬおっさんが家を出入りしたので、家族以外が怖いニョンは目を白黒させて逃げ惑い、押入れの奥の奥に引っ込んで半日出てこなかった。リンもニョンほどではないが、やはり本棚の後ろに隠れてしまった。この怖がり2匹に対してミナはというと、このおっさんの出入りに便乗して外に逃げ出してしまった。幸い、たまたま近所のノラ猫チョコ母さん(ニョンの産みの親)が、ミナの飛び出した先の正面に立ちはだかってくれたおかげですぐに捕まえられたため事無きを得たが、全く油断も隙もない。14歳の年寄り猫のくせに、猫一倍元気で好奇心旺盛なのは、とってもありがたいことではあるが、脱走して欲しくない飼い主の気持ちも察して欲しいものだ。捕まえた瞬間に「なんで捕まえるのよ!もっと外で遊びたいのよ!離してよッ!」とばかりにガアパア怒っていた。ニョンはこれを機に、寝室に入って来なくなった。(屋根修理のため寝室の窓からおっさんが出入りしたため。)毎晩一緒に寝ていた夫はとてもさみしそうである。しかし、ニョンがこのように人間が怖いというトラウマを受けたのも、私たちが無理やり捕獲した故であるため、致し方ない。
---------------------------------------
▼2003.12.24
 |
|
お姑さんに頼まれていた年賀状印刷(150枚+50枚+55枚+100枚+20枚=375枚)がようやく終わったので、自分たちの年賀状を作った。 |
相変わらずにゃんこずネタの年賀状だ。今年は無理やり見猿言わ猿聞か猿のカッコをさせた写真だ。素直にポーズをとってくれたのはリンだけで、ミナは怒るしニョンはいやがるしで大変な撮影になった。撮影後はアルバイト代としてまたたびをあげた。これで年賀状は全て終わったが、次はまたしても頼まれものの新年会のお知らせの往復ハガキ印刷を25枚作らなくてはいけない。文字レイアウトからやるのでまた時間がかかる。このところ毎晩1時過ぎに就寝7時に起床の生活が続いているので、確実に睡眠不足だ。
---------------------------------------
▼2004.1.23
21日の夜中から22日木曜日にかけて、大寒波が襲ってきた。3年振りの大雪で、正式発表では48cmの積雪を記録したそうであるが、現実的に腰よりも高く積もっている状態なので、48cmは少ないような気がする。夫はいつもより1時間半早い、朝の6時半に家を出発していった。夫の出社後、一眠りさせてもらって9時半から雪かきをしたが、やったそばから道が無くなってしまうような状況なので、やっても無駄だと判断し、雪が止むまで家に引きこもることにした。その後18時半頃には一時的に雪が止んだので、雪かきを再開した。せめて夫の実家までの道を作らねばと無理の無い程度に休み休み雪かきをしていたら、お隣のTさんも出てきて雪かきを始めた。開口一番、「妊婦さんがそんなことしたらダメやがいね」と咎められてしまう。そうして夫の実家に行って夫の両親を呼んできてくれ、結局大半をお舅さんが雪かきしてくださった。ありがたいことである。この日、夫は家に帰ることを諦め職場に泊まった為、夜は私一人で寝ることになった。いつもは夫と寝ているニョンが私の布団に入ってくるわ、リンは布団を挟んでくっついてくるわ、ミナはいつも通り腕枕で寝ているわで、猫3匹を1人で抱えるハメになり、ただでさえ自由に動かない体がますます不自由になり、朝から体中が痛い。しかし、この大雪の中、仕事へ行かねばならない方は大変である。今回は心の底から、ああ、プーでよかったと、思ったのであった。
---------------------------------------
▼2004.8.22
朝晩が涼しくなってきた。ふとんの中に猫が入ってくるようになると、いよいよ猫との蜜月季節が始まる。しかし今年はまだ娘が小さいので、猫と寝室を共にすることは難しいだろう。しかし、隙があらばと夫や私のひざの上に乗っかってくるようになった。ミナなどは私のひざの上に娘がいてもお構い無しに乗っかってくる。涼しくなってきたとはいえ、まだまだ抜け毛の季節なので、娘が毛だらけになっては困るので、可哀想だが払い除けている。蜜月の季節はやってきつつあるが、蜜月の日々はまだしばらくおあずけだ。
---------------------------------------
▼2006.4.28
3年前ほどから、アメショのミナリに認知症の症状がでていた。最初はトイレの直前で漏らしてしまう症状から始まった。トイレはきれいにしていたし、人間からは問題が無いと思う状態でも、トイレの前がおしっこだらけになっていた。日を追うごとに症状はひどくなり、トイレ以外の、排泄物を隠せる場所でするようにもなった。さすがに溜りかねた私達は、ミナをゲージ飼いすることにした。失敗トイレはたいてい人のいない夜ばかりだったので、昼間はゲージの外で自由にさせてあげていた。
私たち夫婦に娘が産まれてからは、認知症はますます悪化した。どうしても以前よりミナを構ってあげる時間が減ってしまい、それが彼女にとって大きなストレスになり、症状の悪化に拍車を掛けたのだろう。
半年前頃から、夜中にずっと、遊びでコネコがしっぽを追いかけるように、延々右回りに回り続けるようになった。12歳頃には3.5kgあった体重も、16歳半の現在では2kgにまで減った。食べていないわけではなく、むしろ認知症の老人がご飯を食べたことを忘れ「ところでご飯はまだかのぅ?」というコントのごとく与えたご飯は全て食べ、そして健康的なウンチをしていたので、まだまだ大丈夫だろう、ミナは20年まで生きるんだって信じていた。医者も内臓系に悪いとこはないと健康診断のたびに言ってくれていたからね。
1ヶ月前から、昼間でも、気が向けばところ構わず延々ぐるぐるまわるようになった。雄猫達のエサ場でぐるぐる、机の上でぐるぐる、ゲージの中のトイレでぐるぐる。だけど、仕方がない。相手はボケ老猫だ。辛いけれど、私達は見ていることしかできない。
3日前、水を飲みたいとキッチンのシンクにジャンプしてきたので、桶に水を貯めて飲ませてあげた。おかしなことに、その桶の中に体ごと入って水を飲んでた。あーあ、もう、体中ビチャビチャにして!お水いっぱい飲んで満足したかい?相当におかしくなっちゃったねー、お前…。満足したなら、体を拭こうね。
2日前、朝の散歩から帰ってきて、お昼直前頃にミナをゲージからだしてあげた。あれれ、今日は寒いからね、ガタガタ震えて大丈夫?しばらく抱っこしてあげるよ。あっためてあげる。逃げなくてもいいじゃない…って、おいおい、歩けてないよ…?お前、昨日の今日で足腰に一気にきちゃったの?心配だなぁ、今日はなるべく一緒にいようね。
なんだか心配で6時に目が覚めちゃった。ミナは大丈夫?昨日の夜は、夫がずっとミナを腕枕してあげてたらしい。骨と皮のミナだから、こんな状態で、こんなに寒い夜には一人にはしておけないよね、ありがとう。もう、ジャンプはおろか歩くこともできないみたい。ダンボールの部屋にお引越しだね。ご飯も私が食べさせてあげなくちゃね。ついに介護が始まるね、がんばらなくちゃね。
ダンボールのあたたかい部屋に入れてあげて、フタをして少し暗くしてあげたら、安心したみたい。すごく、眠たそうにまどろんだ目のまま、いっちゃったね。静か過ぎて、いつ逝ったのかわからなかったよ。
私が高校生の頃から一緒にいたね。社会人になり、そして一緒に嫁いできたね。だけど娘が産まれてからは我慢ばかりさせてしまったね。ごめんね。いつもいつも、一緒にいてくれてありがとう。少しでも、幸せな猫生であったと思ってくれていれば嬉しいです。来世で出会えなかったとしても、どうかあなたが幸せでありますように…。
---------------------------------------
▼2006.6.12
娘と猫が一緒に暮らすようになってもう2年以上が経つ。もういいかげん馴れてもいい頃なのに、未だに娘に近付けない
ニョンたん。娘が起きている間は全く姿を見せないので、狭い我が家の一体どこに隠れているのやら。対照的に、べったりくっついて歩く
リン。4月に亡くなった
ミナは、構われたい時には寄ってくるしそうではない時は離れているマイペースな感じだったから、正に三者三様だ。
 |
|
リンと娘は相思相愛だ。8.5kgもの大きな猫を平気で胸に乗せていることもしばしばで、母としては心配なこともあるけれど、微笑ましく見守っている。とっても良い遊び相手になってくれていて、毛をむしられても尻尾を引っ張られても、しゃぼん玉を吹きかけられながら追いかけられても娘に寄っていく。しかもリンが嫌がる様子を見て娘はケタケタ笑っている。 |
以前から疑惑としてあったのだが、娘とリンの様子を見るにつけ疑惑は確信へと変わった。このデブ猫、肉が厚いからなのかなでるくらいじゃ物足りないらしく、ペチペチたたくとゴロゴロ喜ぶという変わった猫なのだが、どうやらかなりのマゾヒズム体質のようだ。人の嫌がること(むしってきたリンの毛を私の顔にくっつけたり等)をしてはケタケタ喜ぶサディストな体質の娘と相性が良いはずだわねー。